イタリアでの搭乗手続きの失敗談

海森 寄与師老です。’05年に鉄道を使ってドイツからイタリアへ2重出張に行ったときの失敗談です。ドイツでの基地のある、フランクフルト~ミュンヘンへICE-3で。ミュンヘン~ボローニャはEN(オイロ・ナハト/独、エウロ・ノッテ/伊、ユーロ・ナイト/英)で行きました。DB(デー・ベー/ドイチェ・バーン/ドイツ鉄道)運行ということでしたが、機関車以外、客車も車掌もトレニタリア(イタリア鉄道)でした。

オーストリア/イタリア国境でパスポートが必要、寝台列車で車掌が代行するから預けろ、で預けました。オーストリアのインスブルックから、上の段にイタリア人のおっさんがきで、厭な予感がしました。案の定、夜中に咳き込み、おっさんの入れ歯が私の寝台へ。うっ。真っ暗な客車内で手探りで入れ歯を探す羽目に。明け方、ボローニャ到着5分前に車掌が来てくれ、パスポートも持って来てくれましたが、国境チェックのハンコはなかったです。ボローニャでは、イタリアの競合他社に納入された、オーストリアの研究用設備を稼動中の状態で確認できました。この競合他社の社員食堂で昼を食べましたが、マズかった!私の勤め先のイギリスの事業所並みのマズさでした。競合他社訪問後、ボローニャ駅前のリストランテ・ボローニャでスパゲティ・ボロネーゼで口直しをしました。

イタリアとはおさらばしてドイツに帰れるぞ!と意気込んでボローニャ駅に乗り込んだのですが、ミュンヘン行きEC(国際都市急行)が来るのを待っても、行き先表示がミュンヘンにならない。乗り遅れた時刻ではないし、搭乗手続きより1本前のECだけど?それどころかモナコと出ている。方向が逆だ!トレニタリアの窓口へ行くと、『シ、ミュンヘン、チャオ!』としかいわれない。『そう、ミュンヘン、じゃあね!』という意だが?違うホームに到着するのではないかと、島式ホームの地下連絡路を右往左往すること5、6回も。独語ができるインフォマティオンが駅の外にあったので走って行って聞いたら、『伊語では、ミュンヘンはモナコ(・ディ・バヴィエラ)という。モナコ公国は都市名で(モンテ・カルロと)呼ぶ。そのECはだからミュンヘン行きです。』そうなの?知らなかった!インフォマティオンから走ってボローニャ駅へ。 ECにはちゃんと乗れて、ミュンヘンへと。搭乗手続きより1本前のECだっよね!ドイツは(切符自体を持っていれば)自由席切符に変わるだけで罰則はない、タカをくくっていたのですが、列車内搭乗手続きやり直し+勝手に指定席に座った罰金で€15も取られました。フランスと同じシステムなんだ!フランスはLRTでさえ、このシステムですが、イタリアでは国際区間乗車のみこのシステムでした。

イタリア/オーストリア国境のブレンナー(/独、ブレンネロ/伊)駅ではパスポートチェックがありますが列車内で受けられます。トレニタリアの車掌はここでÖBB(オェー・ベー・ベー/オェーステライヒシェ・ブンデス・バーン/オーストリア連邦鉄道)の車掌と交代するのです。ÖBBのユニフォームを着てはいますが実態は軍人だと思います。EUになったのに何でこんなことしてるんだろう?と思いましたが、日本のパスポートであることが確認できれば、事実上なにもしません。どうやらイタリアには不法入国の中国人が多く彼らの真の目的地は独語圏であることからイタリア/オーストリア国境で、東洋人が見分けられないために、パスポートチェックしてるんですねえ。パスポートを持っていることが重要です。1度、EUに入ってしまうと、ホテルに置きっぱなしで国境を超える輩が多いですが。チェックは通常は無いが、何かあった時の身分証明ですよ。引っかかった中国人はこの駅のイタリア側の国境警備関係の警官(軍人?)に引き渡されます。結構いましたよ。このECに。中国人。 オーストリアに入ってしまえば、もうドイツと事実上同じ国。国境はハッキリとしませんが、線路がÖBBからDBになると列車はスピードを上げ、揺れが減ります。イタリアの水の様なビルラとおさらば、フランクフルトへは次の日の帰りで良い、美味いビーアーが待っている本場中の本場、ミュンヘンで1泊して呑みまくりました。失敗の損失はボローニャ駅の周りを走ったこと、€15の罰金だけでしたが、知識はないよりも、ある方が良いです。

写真は、自動車では何度も超えているブレンナー峠。鉄道では初めて。この駅は機関車の付け替えと中国人取締りで有名らしいです。客扱いは行っている様なのですが、降りても道路と山の景色以外は何もない、アルプスの山の中です。

P.S その後のヨーロッパ出張では、5ヶ国(英、独、仏、伊、西)の単語の変換帳と、鉄道を使って国境を越える時は、ヨーロッパ鉄道ガイドを持って行く様になりました。もちろん、パスポートは1国のみの訪問でも持って歩いています。後で解かったことなのですけども、独語でミュンヘンというのと、伊語でモナコというのは、意は同じで修道士なんです!英語ではミューニックで、修道士ではなく、語呂合わせだけだと思います。屈辱的譲歩という意もありますが、第1次世界大戦の結果としてのヴェルサイユ条約をキャンセルした以上に(ナチス)ドイツ側に譲歩したミュンヘン会談が意源と思われます。モナコ公国はイタリア(厳密にはサルディーニャ王国)だったのにフランスに奪われ、後に独立した歴史から、都市名のモンテ・カルロ(これ自体が、伊語)で呼ぶ様です。自動車で国境を越える場合の失敗はたくさん経験しています。フランス/スペインとドイツ/チェコとイタリア/スロベニアが面白かった(その時は大慌てでしたが!)ですよ。機会があったら、また書きますね。

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