天晴れ那覇市がホームレス雇用!

海森 寄与師老です。こういうことは、どんどん取り組んでください。この様な行政の姿勢こそ、国民/市民を大事にするものです。他の自治体にも広がることを期待したいです。沖縄県では、他民族に対してや、自民族内の差別はなく、ホームレスに対しても内地よりは寛大と思われます。戦後は傷痍市民も多かったハズです。地上戦地だった訳なので。傷痍市民にも寛大だったでしょう。その様な背景があってですが、素晴らしい取り組みですね。追い出すだけでは何も解決しませんよね。既に実行されていると伝え聞きました。もう当たり前の風景の様です。方針決定時のため引用記事は古新聞です。

【遺骨収集作業にホームレス雇用-那覇市が方針-那覇市(翁長雄志市長)は8日までに、市真嘉比の区画整理地内での遺骨収集作業について、国の緊急雇用創出事業を活用してホームレスや失業者などを雇用する方針を固めた。人数や作業内容、期間などの計画をとりまとめ次第、県に申請する。ホームレスの人々の雇用を市に求めていた「遺骨収集を雇用支援に」NPO連絡協議会の具志堅隆松代表らは「沖縄戦の体験を継承する上でも意義深い事業」との市の認識を評価した。】(後略)沖縄タイムス’09年6月9日30面より

かつては東京都でも上野公園などで傷痍軍人が施しを受けていました。私が小学校の頃は国立科学博物館に遊びに行くのに、お袋に小遣いをもらいました。傷痍軍人への施しが上乗せされていました。その後の私は、モデルガンでアメ横、鉄道で上野駅、モーターサイクルで東上野、三社祭で浅草、上野近辺に訪れる目的が変遷しましたが、傷痍軍人が気になり、毎度、上野公園には寄っていました。かつて国立科学博物館に通っていた小学校低学年の頃から、8年程後の中学校末期の頃には傷痍軍人はいなくなってしまいました。おそらく長生きできなかったのだろう、と想像します。

夷隅郡市では、そこまで困窮している者がおらず、戦争に出営した方も、ほとんどが海軍のため、戦死だと遺骨すらなく、傷痍軍人になる可能性の高い陸軍に行った方は、あまりいなかったそうです。この様な方々への支援や施しを、どうすれば良いのか解からない、というのが実情でしょう。残念だったのが、イージス艦衝突で亡くなってしまった、勝浦市川津の吉清アンちゃんでした。上野公園のホームレスに魚を加工してから持って行ってたそうです。彼とは船舶免許の講習と試験で知り合ったのです。彼の属する漁協組合長(事故当時)は私の親父と予科練で一緒だったそうです。困っている人を放っておけない性分なのは夷隅郡市の出だからでしょうか。でも、どこか甘くて、ユルーいです。相手が、【余所者】だと騙されないかが心配ですね。【田舎者】のままで大人になってしまったので、人を見抜く、なんてことをする必要がなかったのですよね。東京下町育ち、の私から2点。『Iターンのヤツは気を付けろ!』、『余所者を重用するなら人を観てからでも遅くない!』

那覇市のホームレスの方にアルミ缶回収を入れ知恵したのは私です。その後の、アルミ缶回収について、すったもんだがありました。完全解決はしていません。が、この那覇市の快挙ですよ。アルミ缶回収での怒りなんて吹っ飛んで、オツリまであります。市井の民(といっても那覇市民ではないですが)のアイディアのはるか上を行く行政、さすがです。ホームレスになるなら那覇市で、といいたいくらいです。ならずに済ませたいですけどね。でも、快適ですよ。那覇市でのホームレス生活。連続2泊したことが。波の上ビーチで。

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