ドレスデンHbf(中央駅)での思い出

海森 寄与師老です。’04年のドイツ出張時のことでした。フランクフルト(・アム・マイン)から、ドレスデンにICE-Tに乗って2重出張に行きました。ICE-Tは旧東ドイツの在来線のカーブ多い区間を走るための振り子型の電車です。ICE-3型のベースにもなったものですが、車内の作りも外観も、ICE-TとICE-3では全く同じです。

ドレスデンHbf(ハウプトバーンホフ/中央駅)は’00年から大規模な再建工事をしており、その最中の’02年にヴァイサリッツ川が氾濫したことで浸水、泥が堆積してしまい、工事の中断を余儀なくされ別工事が必要になるという、【泣きっ面に蜂】的な状況の最中でした。長距離列車は高いグライス(ホーム)のため運行していました。街の中もほぼ同じ状況。DB(ドイチェ・バーン/ドイツ鉄道)は、エアステ・クラース(1等)を使えば主要駅のラウンジが使えるのですが、ドレスデンHbfでは、この工事のために使うことが出来ませんでした。

ドイツは、フランス、イタリアと違い搭乗手続きは不要です。カァテ(チケット)さえあれば。もちろん座席指定しても良いのですが、しない方が一般的です。もし座席指定をした方が現れたら座席指定していない方が席を移れば良いだけで。帰路、フランクフルトHbf行きICE-Tが暫くないことをドレスデンHbfで確認して、ラウンジでビーアー?と思いましたが、ドレスデンHbfは前述の通りでした。駅前に出ても街全体が同じ状況。冬で寒く、途方に暮れそうでした。そんな中、駅前のビジネス・ホテルは既に復旧し、営業していたのです。私はその夜は、フランクフルトにホテルを取ってあって、ドレスデンに泊まる必要はなく、付帯レストランがあれば使わせてもらおうと思いましたが、残念ながら、付帯レストランのない規模のビジネス・ホテルでした。しかし、ロビーに招き入れてくれて、コーヒーに食事、さらにビーアーまでご馳走してくれました。スチーム暖房が暑い程でしたが、有難かった!

ICE-Tの時間が近付いて勘定をしようとしたら、『お金はいらない、綺麗になったらまた、ドレスデンに来て!』とのことでした。私はこの時にはビジネス・スーツを着ていましたし、帰りの1等の切符も観せましたから、乞食と思われた訳ではないと思います。おそらくは、こんな状態のドレスデンは観せたくなかった、だからせめてICE-Tの時間迄は暖かくしてあげよう、街も駅もダメな時だからこその意気込みの、【ホスピタリティ】だったのですね!旧東側で施しを受ける身になるとは思ってもみませんでしたが、嬉しかったですよ。

P.S 次の春にドレスデンに行きましたが、ホントに綺麗な街で吃驚。規模は違うけども、ヴィーンよりも、プラハよりも、綺麗な街だと思います。ホテルのロビーにも行きましたよ。先の’45年ドレスデン空爆により街は壊滅、寸分違わない様に同じ母材で組み直したが、旧東ドイツ時代工事が傷み始め、統一ドイツが再工事して、現在のドレスデンの風景に。戦争の帰趨はほぼ決着し、ドレスデン空爆はイギリス国内でも批判が多かった様です。今も元イギリス空軍兵が慰霊に訪れます。イギリスで最も空襲による被害を受けたのは、ロンドンを除くと、ドレスデンの姉妹都市の、コヴェントリーで、’40年に2回の爆撃を受け、ボコボコにされた様です。あまりいいたくはありませんけども、コヴェントリーの復讐か?

写真は、ドレスデンの名物の1つ、カーゴトラムです。路面電車で貨物を運搬しています。荷主は公共交通の敵であるハズの自動車産業界のVW(フォルクス・ヴァーゲン)です。

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