善きサマリア人の法ご存じかな?

海森 寄与師老です。医療、救助などを生業とする方、救助の場面に遭遇する可能性のある趣味をお持ちの方はご存じですよね?その後あるblogの、【執筆者】がどういう意図で記載したのか解りました。私の、【天敵?】でもある輩に、ひとこと伝えたかったのだと。しかしアイツはバカ。この例えで解るハズがない上、一般者の敵を増やしてしまいますよ。そんなことは、敵を作り易い私に、態々いわれる迄もなく、解っているでしょうけどね?!ということで以下は以前の、【投稿】のままです。

善きサマリア人の法は、《災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うため無償で善意の行動をした場合、良識的かつ誠実にその人が出来ることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない》という趣旨の法です。誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人(バイスタンダー)による傷病者の救護を促進しよう、との意図があります。アメリカやカナダなどで施行されており、近年、日本でも立法化すべきか否かという議論がなされています。

あるblogに、【火事の発見者が郵便局に『火事だ!お前らも消防車買って出動しろ!』といっているようなもんです。】とありました。《消防車買って》は詭弁ですが、火事の発見者が郵便局に駆け込んだとしても、それがリーズナブルなら、人として発見者も郵便局員も最善の努力はすべきです。それこそが、【人としての筋】ですよね。いすみ鉄道周辺で、【ツルむことが目的のお友達ごっこ】をしているだけならこの、【執筆者】の述べていることは、まあ正しい(としても、例えは人としての筋を外している)ともいえることになりますが、特定企業や別団体の下請けではない、完全な任意のアクティブな民間ボランティア団体なハズ!いすみ鉄道関連以外のボランティアについて語っても問題はないと思いますね。それどころか推奨されることでしょう?私はこのblogの【執筆者】を尊敬していましたが、《問うに落ちずに語るに落ちる》とはこのことです。

【筋が通らないので、いいたかなかったけれどもいわざるを得ない形になりました。】現場の雰囲気に合わないならば、そういういい方もしたでしょうが、現場にいた訳ではありませんから知りませんし、文面ではそうは感じられないし、【筋】とは、【人としての筋】ではなく、【ツルむことが目的のお友達ごっこ】と明記してはいないから何のことだか解りませんね。明記しても、【人としての筋】より、【ツルむことが目的のお友達ごっこ】の方が上位だとは思えません。

P.S ボランティアには貴賤があります。いすみ鉄道周辺で、【ツルむことが目的のお友達ごっこ】しているだけならかなり賤しいボランティアですし、ボランティアと呼べるかどうか?【何かした気でいるオヴァさん】に近いですし、より貴いボランティアの方を冒涜していると思います。反響を知りたいところですね!音楽家でもあるそうなので、独語、読めるね?

Lieber von den Richtigen kritisiert als von den Falschen gelobt werden.

意は、『間違ったヤツに褒められる位なら、正しいヤツに貶されろ!間違いない!!!』です。永井 秀和 風味でした。

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