日本の少数民族、ご存じですか?

海森 寄与師老です。中学校1年の夏休みのことですから、今から37年前、昭和49年、西暦’74年のことです。この時、私は周遊券を(小人で)買って、主に鉄道を利用して北海道を1人旅していました。滝川機関区でSLを見て、この時点よりさらに5年前までは、房総東線(この時点では電化され外房線に改称されていた)を走っていたSLと同じ煙と臭いだったので妙に懐かしかったのを覚えています。あくまで主目的は旅であって、鉄道は手段なのですが、滝川機関区のSLと、夏は邪魔者の除雪車で、フィルムを使い果たしてしまいました。

利尻島で、低空、低速で領空侵犯するソ連軍のMiG23(フロッガー/西側称)を目撃できました。戦後の日本は地上の国境のない国になりましたが、漠然と国境というものが意識できました。その後の国境好きは、この時からなのかもしれません。イギリスが好きではないのは、主たる領土であるグレートブリテン島に国境がないから(アイルランド島にはありますが)なのでしょうか?わざわざヨーロッパに行ってもイギリスでは国境がないと。この旅に付随する鉄道の話は、ここでは割愛します。この旅の途中で、石北本線の車中で知り合った、おばあちゃんがタイトルの本題です。

石北本線の車中で彼女の身の上話を聞いていると、時々知らないことばが混じりました。今は網走に住んでいる、元々は樺太の出身、でも樺太アイヌではない、シサム(/アイヌ語、日本人/日語)でもない、とのことでした。見た感じは全く日本人と同じでした。この時点で70歳とのことでした。品のある美人で、しゃんとした、背筋の伸びた姿勢が印象に残りました。この時の説明では、『私は、ウィルタ族、樺太アイヌやシサムはオロッコ(/アイヌ語)と呼ぶ。』先祖は樺太の北緯50°より北に住んでいたが、日露戦争の結果、樺太の南半分が日本領になった時に北緯50°より南に移った。先の戦争の結果、樺太全部がソ連領になるため、シサムや樺太アイヌやギリヤーク(/露語、ニヴフ/自語)と一緒に日本に引き上げた(これらの民族の方々は故郷を捨て日本に来た)ということらしいです。アイヌも少数民族ですが、さらに少数な集団の樺太アイヌ、さらに少数民族とのことでした。ある民族が永続的に続くためには、生殖能力のある世代の母数が臨界以上(うろ覚えですが1.000人とか)必要だそうですから、民族断絶の危機なのだと思います。

これらの民族の方々は、日本が敗戦国なのにもかかわらず、日本に恋焦がれ、故郷を捨て、日本に移り、日本名を名乗り、日本人教育を受け、それでも差別を受けていたそうです。私は東京都の下町の小学校に入りましたから、在日に対し差別をするなと教育も受けましたし、その他の差別があることの教育もされました。翻って、千葉県は沖縄県を除くと日本で1番差別に疎い県だそうです。つまり日本で2番目に疎いということです。差別をしないことは貴いことです。千葉県が全国に誇って良い美徳です。しかし、差別の教育をしなければ差別をしないから、差別の教育はしないままで良い?私は、無知のままでは最大の暴力になり得る気がするのですが。

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