初めての腕時計は機械式でした!

海森 寄与師老です。中学校入学の年ですから’74(昭和49)年ですか?入学祝に買ってもらった腕時計は機械式でした。当時の時計業界は機械式全盛を過ぎクォーツショックになっていました。イノベーション途中だったのです。クォーツは未だ高く、入学祝というと機械式の方が一般的でした。クォーツは液晶デジタルと1体で開発が進み、’80年頃には小遣い程度で買える様になります。電池交換するくらいなら新しい腕時計を、と物を大事にしない時代になって行きます。

東京都の下町に住んでいたために、普通はセイコーを選びました。墨田区に第1精工舎、江東区に第2精工舎があったので。地域の産業として認知されていたのです。ただ、機械式のムーブメントは、【亀戸70系】(鉄道車両ではありません!)を最後に開発を終了してしまいます。同級生は男子も女子も大抵はセイコーの機械式。ヒネクレ者の私はシチズンのチャレンジタイマーというモデルを買ってもらいました。当時正札で¥23,000しました。貨幣価値は現在の5倍以上で¥100,000以上になるでしょうか。高度成長期が続く最中とはいえ、随分と高いモノを買ってもらいました。今更ながらお袋に感謝です。

ところが、この腕時計、中学校1年夏休み、いとこと海水浴に行き水没させてしまいます。その日は先ず勝浦海水浴場に行きましたが水温が低く、大原海水浴場に移動しました。勝浦海水浴場は勝浦湾の中にあるので、黒潮の影響がディレイされるため、黒潮が直接洗う大原海水浴場の方が水温が高いだろう?との読みでした。読みは当たりましたが、読みを当てたこと、波があること、で舞い上がり腕時計を外すのを忘れ、波にぶつかって喜んでいたのです。当時の大原海水浴場は現在よりも南(がんこおやじの辺り)にあり、その後の埋め立てで現在の位置に。夏休みが終わってから、時計屋さんで水抜きをしてもらいましたが、塩分でムーブメントが錆びてしまいました。中学校の間はなんとか動いていましたが、ついに竜頭がもげてしまいました。この腕時計は分解組立の真似事をして、部品のプレパラートになりました。

それから時代は25年程経ち、’03年夏にヨーロッパ出張から帰国してすぐ、シンガポール旅行に行きました。オーチャード通りから1本入った、全日空ホテルの傍の骨董屋でほぼ同じモデルを見つけました。この店はカードが使えず、現金は足りず、買えませんでした。厳密には、私が持っていたのは、【日本国内仕様】、これは、【英語圏仕様】。曜日表示のカラクリが違うのです。でも欲しかった!¥20,000程でしたが、買ってしまったらオーバーホールに¥100,000はかかったでしょうね?

P.S 海水浴に一緒に行った、いとこは同い歳の女の子(今はオヴァさん)でしたが、男性用のセイコー5スポーツをしていました。結構似合っていたと思います。抜け目ないヤツで、自分だけは腕時計を外していました。『先、いってくれれば良かったのに!』、ハイ、【後の祭り】で。まだ腕時計の扱いも解らない中学生に機械式時計なんてと思いますが、当時はクォーツの方が高く、それが普通でした。現在は、電波、ソーラー、防水、耐衝撃、まで備えて、デジタルは¥20,000、アナログでも¥30,000位です。走るモーターサイクルから落とし、スライディングさせても何事もなかったかの様に動いています。お転婆でも、暴れん坊でも、火に投げ込む以外に壊すことは不可能に近いです。

写真は私が買ってもらったのと同じモデル。今見てもカクイイです。

写真は私が買ってもらったのと同じムーブメント別モデル。通称【ツノ】。こちらの方が私が買ってもらったモデルより有名ですが、コレは奇抜すぎてイヤで。値段は全く同じでした。

写真はいとこがしていたのと同じモデル。こちらもカクイイです。彼女は葛飾区の中学校だったのでセイコーにこだわる理由はなかったハズですが。女の子は女らしく、という時代に何で男性用?後で解ったのですが、3歳下の弟にスライド使用を考えていた様です。

写真は現在私が所有する、ただ1つのセイコーの腕時計。機械式です。全日空さんから頂きました。所謂ダブルネームです。ムーブメントは【亀戸70系】の嫡子です。

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