コメンテイターとコメンターについて

海森 寄与師老です。以前の【投稿】で《荒らしコメンター》という表現を使いました。この《コメンター》というのは、《コメンテイター》の誤記ではないか?と指摘がありましたので、この件につき《コメンテイター》(解説者)します。《コメンテイター》というのは各メディアのニュース解説者。注釈者との訳もあります。ワイドショー解説者も含み、転じてトーク番組ゲストのことも。《コメンテイター》を知らないということは、あまり考えられませんね。

《コメンター》というのはblogの進化(人間の退化?)に伴い出現した人種のことで、広義には、blogにコメントを寄せる人のことを含有していますが、【自分でblogを開設せずに、あるいは、更新せず、管理も他人に委託し、自分は他blogにコメントする輩】のことです。他blogの記事を見つけて、コメントすることを主たる活動とするのが、《コメンター》という人種です。blog開設者と知り合いならば、どうってことはありませんが、ネット上の繋がりしかない相手は、かなり煩わしいです。特に女性は、議論の挙句に論破すると、最後は、女性を武器に(弱いものいじめと称し)、あるいは、余所者は余所者であることを武器に(出来ることが限られると称し)立てこもります。かなり、面倒臭え!です。女性や余所者であることを攻撃したのではないのにですよ!現実は、地域にも、男性にも、面倒臭え!ってのはいますから、結局は地域や性別ではなくて、個人の資質ってことですかね。

blogは、更新し続けなければ集客もままならず、加えて、コメントしてくれた客先のblogを巡回、コメントしなければ礼儀を欠くという煩わしい面が。私の場合には商売は絡んでいませんから、利益を追求することは不要ですし、したがって商売的な礼儀も不要ですし、更新したくなければ更新しません。しかし、一般的に運営によって生じる負担の重さから、閉鎖、休業、委託、するblogを目にします。このような弊害を避けつつネットライフを満喫するため、《コメンター》をしているのでしょうか?目的が解りませんが。以前の【投稿】で述べた、《荒らしコメンター》の目的は、《荒らし》でした。明確な目的だけは素敵でしたよ。

特定の記事のコメント欄に棲みついて個人的《コーナー》のようなものを構築し、あたかも主であるかのように振舞う《コメンター》も存在します。この様なコメント欄は《コメント穴》と呼ばれ、ここにコメントすることを《穴掘り》といわれます。《穴掘り》自体は、悪いことではありませんが、開設者から2段以上階層が離れたところで、意見を述べることになります。開設者が意見に責任を取れる範囲を超えているでしょう。ならば自分のblogを開設した方が良いと思いますが、前述の通り、それはそれで煩わしいですよね。

P.S 実在するパターンです。世間ではまだ定義がありません。

①自分でblogを開設

②管理は他人に委託

これで他blogにコメントだけしていれば、《コメンター》と同じなのですが、

③自分で開設したblogに《コメンター》として振る舞う

管理者権限を持っているのでコメントではなく投稿だって出来るハズですがね。これにはどういう意味があるのでしょうか?根には、目立ちたい、でも、手間はイヤだ、ですかね?

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