JR三門駅に謎?があるんです!

海森 寄与師老です。以前から不思議だったことがあります。大原駅の北隣の三門駅の所在地についてです。現在となっては、いすみ市内のことなので、大して問題でもないのですが。いすみ市は、’05年12月5日に夷隅町、大原町、岬町が合併して出来た市です。合併前には、問題だったのか、というと?問題にしているのは私くらいですかね?地図上三門駅は、旧岬町三門にあるように見えます。駅名が三門ですし。旧岬町/旧大原町境が駅前にあります。しかし駅ネット上、千葉県いすみ市日在(旧大原町日在)とあります。

駅の所在地が旧岬町、旧大原町どちらでも誰も困る方はいなそう、なのが印象的です。先々代の木造駅舎出口が旧町境を越え、旧大原町日在に入っていたとの話もあります。これも定かではありません。しかも三門駅は開業時は今より長者町駅寄りだったのが、大原駅寄りに移動してきたとの話もあるんです。さらにヤヤコシイのが海水浴用の東海臨時停車場なるものがあったそうなんです。三門駅は1903年の8月16日に開業したそうなのですが、東海臨時停車場も、同じ年の8月10日~9月30日まで開設したとあります。1ヶ月半の間はすごく近い距離に大原駅も入れると3駅あったことになります。旧三門駅の引越し先が東海臨時停車場で新三門駅に?謎です。旧三門駅跡と東海臨時停車場跡を探検してみようと思います。

海水浴場は時代で地域の1番が移り行きます。明治40年代は大原(今の海水浴場より北の日在浦)が1番。大原が1番という時代は長かったそうです。東海臨時停車場はそれらの方に便利だったでしょう。私が子供の頃は勝浦が1番、若者時代は御宿が1番でした。その後は、鵜原だ、興津だ、守谷だ、といわましたが、小さな海水浴場は、1時代は築けていませんね。御宿が1番の時代も長くて、今も続いています。御宿でナンパが、時代のステータスでしたよ!オヂさんたちも!オヴァさんたちも!そうでしたよねえ?部分痩せ、なんて無駄な努力しましたよね?30年後の今、どうなってます?

三門駅といえば、梅屋庄吉が1934年に急死した場所でもあります。日中関係が悪化し、時の外相、広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、別荘近くの三門駅(良い海水浴場の傍?ってことは東海臨時停車場改?)にて、ということらしいです。この5年くらい前には林芙美子もやってきたということなのです。歴史的、文学的、な出来事があったのが、現在の三門駅なのか、それとも旧三門駅なのか、とてもアヤシイのです。

写真は私の知る範囲で3代目の現在の駅舎。’05年に2代目のコンテナ転用駅舎が焼失したため新築したそうなんですが、どうして焼失したんのでしょう?結構好きだったのに。謎が多いです。三門駅。

P.S 主たる話題は三門駅の変遷と謎についてで、梅屋庄吉や林芙美子について質問をされると、大した知識もないので、とても困ります。

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