海森 寄与師老です。声がきれいな方がいらっしゃいます!文章が立派な方もいらっしゃいます!こちら勝手なイメージを膨らませたりしますね?私が感じていたのは、どちらも、お会いしてみると、【ガッカリ】ということが多かったです。もちろん人と会うことが、【本業】ではないでしょうが。
1番ガッカリだったのは、’92年に私の勤め先(の埼玉県の事業所)に総合職で就職した女性。社内アナウンスにいきなり抜擢をされ、あまりの声のきれいさに、放送室に上司と競争しながら会いに行ったら、【ガッカリ】でした。この女性の名誉のため追記しますが、NTT東の社内アナウンスのコンクールで優勝したことがあります。何年だっただろうか?その頃からの呑み友達でもあります。もう40歳超えたのですね。声とは違って、文章=人そのもの、の様な気がしますが、こちらもそうでもない、ことが多いですね。2番目ガッカリだったのは、ある女性編集者だった方。ほぼ私とは同年代。文章は、凄いのですけども。しかし、イザ話してみると、自分が娘時代の恋愛話ばかり。もちろん、人生の1部ではありますし、当時トップ・インタレストだったでしょう。しかし、それが全部か?アンタの人生は。50歳にもなってそんなことばかり話していたら、同年代だって引きますって。
昨今のネット社会では、文章=人そのもの、の様な気がするけど、実際には乖離があるところに、結局はコミニュケーションが取れないジレンマがあるのでしょう。実名を名乗らせれば、(良くも悪くも)意見が聞けるか?というと、そうでもないのですよね。この場合、【いいね!】以外の内容はありませんよ。どこかの【投稿】でも述べたけれども、
Lieber von den Richtigen kritisiert als von den Falschen gelobt werden.
リーベル フォン デン・リヒティゲン クリティシエルト/アルス フォン デン・ファルシェン ゲロブトゥ ヴェアデン。
『間違ったヤツに褒められる位なら、正しいヤツに貶されろ!間違いない!!!』
が足りません。誤っていることについては見つけられないということに繋がります。新しいことなために、正しいことや方法は、そもそも、存在しないのだとしても、誤っていることや方法は、存在します。誤っていること以外=正しいことと、この部分は理解してください。誤っていることではない同士の競合で初めて、『この際どちらでもよいと思いませんか?』といっても構わないのです。
ネット上でのヤリトリは問題なかったけれども、会ってみたら、【ガッカリ】だったことも多数あります。この場合には、同性の方がより、【ガッカリ】します。ネット上でヤリトリしていた範囲以外のことは語れない、所謂【ヲタク】だったり、物知りで、興味も重なるんだけども、【腹だけボッコリ】だったり。物知りなら、それがどの様な結果へと?解っているハズです。このアンバランスだと許せません。知能指数が√2なら、しかたがないさア?ハッハッハ!で済みますが。Bay FMの斉藤りささんはイメージ通り(良い意味)の、数少ない例です。
写真は斉藤りささん。君きゃわうぃーね!マッサージやってたら?ハマリます!いえいえ、Bay FMだけで我慢?しますよ。ところで、カワイイといわれて嬉しいのは、何歳まで?